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EUにおける人の移動 |
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ポーランド 建設ラッシュに沸くポーランドでは、西ヨーロッパへ出稼ぎに出る人々が多い中、ウクライナから多くの移民労働者を受け入れている © Bill Atkins/IOM 2007 |
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ヨーロッパにおける移民の問題を考えるときに、EUの圏外と圏内の人の移動を切り離して考える必要があります。EU加盟国ではEU圏内の人の移動は原則として自由に行うことができて、就職においても平等の権利を持つとされています。2004年と2007年に合わせて12の新規加盟国が生まれましたが、各国の経済格差が大きく、以前からEUに加盟している国が大変懸念を持っているために、7年間はこれら12の新規加盟国からの移民の受入は制限をしてよいという例外措置をとることになりました。ほとんどの加盟国が制限を実施していますが、イギリス、アイルランド、スウェーデンは門戸を開放しています。
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もう一つはEUの国以外からEUの国への移民がありますが、制限はあるにしても圏内の移民は自由であるにもかかわらず、圏外からの(第三国からの)移民の数の方が多いのは大変興味深いことです。考えられる理由は何でしょうか。国連の公用語は、英語、スペイン語、フランス語、中国語、ロシア語、アラビア語の6ヶ国語であるのに対し、EUの公用語は23ヶ国語、全ての加盟国の言語が公用語となっています。ヨーロッパは文化的な共通性はあるにしても、非常に多様な地域であって、特に言葉に関してはその壁は非常に高いということが言えます。
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EUの移民政策
EUは、移民政策においても共通の政策をとろうとしていますが、最も遅れている分野です。理由としては、各国でそれぞれ失業率の問題など事情が違うということがあります。産業構造も違うので、移民に対する受入能力も違っています。今の時点で、共通移民政策が確立されているのは、難民対策、人身取引対策、不法移民対策、家族呼び寄せで、「就労目的の移民労働者」、「社会統合」の二つは非常に遅れており、各加盟国の独自の政策に任されている分野です。EUでは、この「社会統合」が近年大きな課題になってきているので、共通基本原則というものを出しています。移民が受入国に対して最も貢献するものは、労働です。その社会貢献を目に見える形にすることによって移民に対する反感を無くしていこう、ということです。また移民の側は受入国の言語、歴史についての知識を持つことが極めて重要といえます。
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ドイツにおける移民
ドイツは日本との共通性もあって非常に面白い国ですが、実は昨年、連邦統計局が「ドイツ国内に在住している約5分の1にあたる1530万人が移民の背景を持つ」と発表し大きな波紋を呼びました。ドイツに住む外国籍は730万人で、この移民の背景を持つ1530万人というのは、第2および第3世代を含めてということです。ドイツで生まれ育った人たち約30%もこの中に含まれています。
ドイツは第2次世界大戦後、急速に移民の受入を行った国でした。ドイツは国籍を血統ベースで認めている国であることが特徴として挙げられます。1950年代から1970年代にかけて約200万人を超えるトルコ系(ガストアルバイター)移民労働者がドイツに流入しました。旧ユーゴスラビアからも大量の難民がドイツに流入しました。それ以前から旧ユーゴスラビアはドイツ通貨のマルクが通用するドイツ経済圏に属していた地域であり、ドイツ語もかなり話せる人達がいました。また旧ソ連の時代にドイツから移住をした人達の子孫は、アオスジードラーといわれ、この人達は血統主義によりドイツ国籍が認められます。1990年代に入って、ソ連の崩壊に伴い、大量のアオスジードラーがドイツに帰国するという現象がおきました。ただしこの人達はドイツ語が話せないので実態は外国人と変わりません。ドイツは第2次世界大戦後、大量の人の流入を経験したと言いましたが、時系列的に見ると、1955年から1973年が一つの大きなピークでした。トルコ人を中心とするガストアルバイターと呼ばれる移民労働者の受入が行われたのがこの時期で、高度成長期を支える労働力となっていました。73年に石油ショックがあって急速に経済が低成長期に入り、大量のガストアルバイターが失業してしまう状況になり、その後90年代まで移民の受入は、家族呼び寄せ以外は中断してしまいました。ドイツ政府、社会全体の考え方としては、これらの移民労働者は数年働いた後にいずれは自分たちの国に帰国するものだという前提があって受け入れたところが、正反対にほとんどの移民がそのままドイツに定住してしまいました。しかも、石油ショック後の大量な失業者が社会保障の大きな負担になってしまった。これがドイツの大きなトラウマになり、移民問題はタブー視される状況が90年代まで続きました。
そして大きな転機を迎えたのが1990年代です。一つは冷戦が終結したこと、それによって、東西の鉄のカーテンが消滅し、東ヨーロッパからの大量の人の流入が始まりました。旧ユーゴスラビア連邦の解体が進んで紛争が深刻化し、難民の流入が進みました。同時にドイツも、またヨーロッパ全体でも少子高齢化が進行し、徐々に労働力不足という現実が表れてきました。加えて90年代にIT革命に代表される、産業構造の変化が進んで、新たな技術者に対する需要が高まりました。このような変化を象徴的に物語っているのが、2000年に当時のシュレーダー首相が打ち出したグリーンカード制の導入です。これは当時、10万人不足しているといわれていたIT技術者を、主に発展途上国から受け入れるために作られた制度でした。非常に簡素化した手続きにより、グリーンカードを発行して、技術者の受入を進めるという政策でした。これが、ドイツにおける非常に大きな移民政策の転機でした。
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ドイツ新移民法の制定
その後、2001年に移民委員会が設置され、この委員長に元ドイツ連邦議会議長のジュースムート氏が就任し、現在の移民法の土台となる提言が行われました。それに基づいて2005年に、新移民法が制定されました。この最大の意義は、ドイツが1955年にガストアルバイターの受入を始めてようやく50年目にして、みずからを移民の受入国として認めたということです。それまでドイツは、「統計上の移民の受入国」や「事実上の移民の受入国」という言われ方をし、「政策上、ドイツは移民の受入国ではない」と、公式の場では言っていて、政策と実情が乖離するという非常に不思議な実態がありましたが、この法律によって初めて、ドイツは移民を受け入れていた、と正式に認めたということです。ドイツが戦後に経験しなくてはならなかった変化の大きさと、またその変化を受け入れることがいかに難しかったかということを物語っています。この法律は実際には与野党間で折衝、妥協が行われ、内容的にはかなり骨抜きになっているとも言われています。この新移民法の最大の目玉であったポイント制の導入が見送られているからです。移民の申請を出す人達の学歴、職歴、年齢、語学力などを採点していって、ある一定の点数に達すると永住を認めるという合理的なシステムでしたが、特にキリスト教民主同盟からの大反発があって、断念してしまったので、それほど斬新なものではないとも言われています。
また、社会統合政策を正式に打ち出したことも大変重要です。ドイツに一年以上在住する移民は、630時間の社会統合コースを受けることを義務付けるもので、ドイツ語、文化、法律、価値観に関する講習を受けなくてはなりません。連邦政府予算から約2億ユーロの財政支出が行われています。
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捨て去ることのできない価値 |
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東京で行われたシンポジウムでドイツの移民政策について報告するジュースムート氏 © IOM 2006 |
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新移民法の立役者となった、移民委員会委員長のジュースムート氏が、2006年に当機関が外務省と共催したシンポジウムで大変貴重な講演をされました。強く印象に残ったのは、「私たちの社会は、どれ一つとして単一文化のものではありません。ですから、外国人の皆さんと一緒に、私たちがどうしても捨て去ることができない価値とは何なのか、それを徹底的に議論することが必要です。」と発言されていたことです。
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以前フランスで大論争を呼んだイスラム教徒の女子学生のスカーフ着用問題。これは当時かなり大きく報道されました。2004年、フランスでは、公立学校内でのあからさまな宗教的な表現を禁止する法律が制定されました。フランス政府は一貫してこの法律がイスラム教徒を狙い撃ちにしたものではないといっていますが、イスラム原理主義を抑えようという動きがあったことは事実です。が、少なくとも理念上問題とされていたのは、「公共の空間における中立性の原則」というものでした。非宗教性というのはフランス民主主義の大原則でした。公共の空間における宗教的な中立を守るということは、フランスの民主主義の伝統を守る上で必要不可欠、避けて通ることができない措置だ、という考え方に対しての支持が大きかった、ということを同時に物語っています。社会統合の問題を突き詰めていくと、一つの社会にとって、ここは絶対に守らないと、この国の社会のもっている独自のアイデンティティー、共通の価値観が失われてしまう、という一線が出てきます。少なくともフランスではスカーフの着用が代表する宗教上の象徴的な表現というものが一線を越えている、という考え方が多くの支持を得ていたわけです。
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日本の状況と課題
日本は現在200万人の外国籍登録者がいて、人口比は全体の1.6%に当たります。まだ他の先進諸国と比べてそれほど高くありませんが、1990年の時点からみるとほぼ倍増しています。そのうちの約80万人が日系ブラジル人などのニューカマーで、研修生、技能実習生などで占められています。豊田市、浜松市など特定な都市に集住する状況が出ています。単純労働者を受け入れないという政策と実態が乖離していて、これが今どんどん拡大しているので、どこかで政策と実際にあわせる修正が必要となってきている、その岐路に立たされている状況にあります。入国後の定住支援に関する社会統合政策、言葉の支援、就労支援、社会保障などの課題が山積しています。但し、インドシナ難民の受け入れ、中国からの帰国者たちへは例外的な定住支援が行われています。それをもっと広く適応することが必要になってきています。
このような状況の中で中央政府レベルでの政策が遅れています。理由としては、省庁間の壁が高いことがあげられます。法務省は法務省の、厚生労働省は厚生労働省のそれぞれ独自の守備範囲があって、なかなか全員で一緒に何かをやるということができにくい構造があります。移民政策というのは少なくとも、労働、出入国管理の問題、教育、社会保障など、非常に幅広い分野にまたがっているので、省庁横断的な対応をしなければ、効果的な対応はできないわけですが、省庁間の壁が高いために非常に困難です。政府の方もそれがわかっていて、政治家が声を上げて、新しい政策を打ち出してくれれば、それにあわせて官僚はいろいろとすることができると考えていますが、移民政策の見返りが少ないので、国会で何か新しいことをやろうと考える人はほんの一握りしかいない、というにっちもさっちも行かない状況です。官僚は省庁間に縛られ、政治家はほとんど関心がないので、今すぐに日本に移民政策が生まれる可能性は少ないと言えます。
そのような中でも、独自に提言活動をしている団体の中に、経団連があります。この3月に「外国人材受入問題に関する第二次提言」というものを行い、一定のビジョンを打ち出しています。浜松や豊田市など23市町が参加している外国人集住都市会議でも、昨年「よっかいち宣言」を出しています。内容は、外国人児童生徒の受け入れ態勢の整備、外国人学校への支援を国に強く要望するものとなっています。経済界、自治体レベルでの取り組みは必要に迫られてと言う形で進んでいますが、それを超えた日本全体の移民政策は今の段階では描くことが難しい現状があります。(了)
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