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| 移住と開発に関するハイレベル討議に向けて −番外編− 2006年9月 |
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今年9月14-15日に国連総会の特別セッションとして「移住と開発に関するハイレベル討議」が開催されます。移住に対する国際的な関心の高まりを受けたものです。近年課題となっている移住に関するトピックを当メールマガジンでシリーズで取り上げましたが、今回はその番外編です。
IOMはレバノンにおける治安の悪化を受けて、避難を希望する移民労働者に対し、隣国シリアへの陸路による移送とシリアから母国への帰国の支援を行いました。7月20日から8日25日までに、13,077人の移民が母国へ帰還するのを支援しました。ほとんどがドメスティック・ヘルパーと呼ばれる、住み込みで家庭内労働に従事していた女性でした。
レバノンでの危機は図らずも、スリランカ、フィリピン、エチオピア、バングラデシュなどの出身の女性が多く中東に出稼ぎに来ている実態と、彼女らが置かれる境遇を明らかにしました。以下、シリアからの報告です。
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レバノンの戦火を逃れた女性移民労働者 虐待の経験を語る
IOM職員 Ranjitha Balasubramanyam
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シリア ダマスカス近郊のMar Touma修道院 © IOM 2006. Photo by Ranjitha Balasubramanyam |
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彼女たちは一見観光客に見えるかもしれません。マットレスや二段ベッドに気持ち良さそうに身を横たえ、にぎやかにおしゃべりをしています。バルコニーから日の光が差し込み、一段と心地よい雰囲気を醸し出しています。ここは、シリアの首都ダマスカスから25km程離れた丘の上に建つ、Mar Touma修道院です。
「こんにちは、みなさん。」私は開け放たれたフランス窓から声をかけました。「お邪魔してもよろしいですか。」
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「こんにちは、どうぞ入って。」フィリピン人女性たちは私を温かく迎えてくれました。私が手すりを越えて部屋に入ると、彼女たちはベッドの上に起き上がって衣服のしわを伸ばしながらおじぎをしました。
「ここは素敵な場所ですね。みなさん気持ちよく過ごされているようですね。」と私は言いました。
「戦争から逃げてきたけれど、みんな楽しく過ごしています。」と一人が答え、女性たちに笑いがどっと起きました。
私は部屋の中央の床に座っているグループのそばに歩み寄りました。彼女たちは昼食の真っ最中でしたが、私に熱心に話しかけました。
「無事でいられてよかった。」エリザベス(39歳)が言いました。「もっと大事なのは、雇用主から逃げられたことです。」と付け加えました。ベス(彼女は家族や今一緒にいる新しい友人たちからそう呼ばれています)は、部屋の他の女性たちと同じ気持ちでした。
「そうよ。」女性たちは叫び、拍手が沸き起こりました。
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IOMは7月20日以来、ベスとその友人たちのような、移民労働者13,000人のレバノンからの避難を支援しました。欧州委員会とアメリカ政府の支援により、IOMはシリア各地での宿泊を用意し、母国へ帰るまでの間、避難者に食事や医療サービスを提供しました。
IOMは修道院と協力して、他の移民労働者とともにこのフィリピン人女性のグループを受け入れました。この女性たちは他のグループより少しばかり長くシリアで過ごしています。彼女たちが目にした爆撃によるトラウマから回復し、リラックスするための時間が必要なのです。
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シリア レバノンで働いていたフィリピン人女性 シリアに避難してほっと一息 © IOM 2006. Photo by Ranjitha Balasubramanyam |
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移民労働者の多くは、レバノンの雇用主は親切で、避難できるように出身国の大使館まで連れて行ってくれたと言います。実際、アメリカに住むレバノン人が数週間前に私にメールを送ってきて、レバノンにいる家族がスリランカ人のメードを故郷に帰したいのだが、どのようにIOMにコンタクトをとったらいいか問い合わせをしてきました。しかし、程度の差こそあれ、雇用主の横暴さやこれまで受けた虐待について訴える移民労働者もまた多くいます。
ベスの場合、雇用主とは良好な関係を保っていました。しかし空爆の開始を境に暮らしぶりが一変しました。ベスは怖くてフィリピンに帰国したかったのですが、雇用主が許しませんでした。爆撃が激しくなる間、恐怖のあまり働けないと言って、雇用主に帰国を願い続けました。
「私はレバノン人ではないし、ここは自分の故郷ではない。帰らせてほしいと言いました。」
そしてベスは、その家の「女主人」が彼女の腕をつかんで壁に押し付けた様子を再現してくれました。「この傷を見て。」
彼女の友人がシャツの袖をまくり、皮膚が変色した彼女の上腕があらわになりました。ベスは数日間部屋に閉じ込められ、家の鍵は取り上げられたと言います。途中で帰国するのは契約違反になるので、もし帰国したいのなら1,200ドル払うように言われたのです。 彼女はこの非情な雇用主を出し抜こうと決心しました。
「私は不満を言うのをやめ、家周りの雑用を始めたのです。主人は私が帰国をあきらめたと思って、鍵を返しました。私は前のように戻ったと見せかけて、こっそり荷造りを始めました。それからどうしたと思います?」彼女はにこにこして私に聞きました。
「ある日、私はいつものようにゴミを出しに外に行きました。誰も私の荷物がゴミ袋に入っているとは気付かなかった。疑われずに家を出ることができました。」
移民労働者の全てが幸運に恵まれる訳ではありません。雇用主からの帰国の許可を得られなかった女性たちのうち、逃亡を決意した女性は多くいました。彼女たちは落ちたら怪我をするとわかっていながら、窓から飛び降りたり、壁をよじ登ったりして逃げてきました。
「私は2階の窓から逃げて来たんです。勇気あるでしょう?」一人の女性が言いました。仲間から歓声が上がり、彼女は笑いました。
他の女性は、追加の給料を支払われず雇用主の母親や友人の家でも働かされたと言います。 「レバノンで過ごした11ヶ月で10キロやせました。充分な食事をもらえず、冷蔵庫には鍵がかかっていて食べ物に触ることもできませんでした。」
30歳のジョブリンは少しはにかみやのように見えました。「私はいつも祈っているんです。」と言って、私を修道院内の礼拝堂に案内し、そこでこらえきれずに泣き出しました。彼女は最近、フィリピンに暮らす夫ががんで死の床にあるのを知りました。雇用主はこのことを隠そうとしていたのです。ジョブリンは夫を看病するために帰国を願い出ましたが、雇用主は許しませんでした。
「私は11ヶ月働きましたが、給料は一度ももらっていません。家族はお金が必要で、一生懸命働いたのに、お金は全くないんです。」
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修道院に身を寄せるフィリピン人女性たちと 談笑する付き添いのIOMスタッフ ©IOM 2006. Photo by Ranjitha Balasubramanyam |
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私たちが礼拝堂から戻ると、みんながテラスに集まっていて、一人が歌をうたってみんなを楽しませていました。それから、全員でフィリピンの歌をうたい始めました。彼女は修道院に泊り込んで付き添っているIOM職員に、音楽をかけるように頼みました。
「踊りましょう。」と彼女が呼びかけました。即興のパーティの始まりです。
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それは楽しい光景でしたが、彼女たちが味わった苦痛や苦悩とは裏腹です。何人かは爆撃が始まる前から苦しんでいました。爆撃は皮肉にも、多くの移民労働者に母国での生活が厳しいとしても、不親切な雇用主や横暴な雇用主から逃れる格好の機会を提供したのです。
他の女性たちが歌って踊っている間も、ジョブリンは物思いに沈んでいました。彼女の心は病気の夫のことや将来への不安でいっぱいだったのです。
(注)紹介した虐待に関する訴えは実証されていません。レバノンから避難してきた移民労働者の個人的な証言に基づくものです。
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